ニューイングランドへの旅 マーブルヘッド

 私が始めてニューイングランドに行ったのは、1988年のハローウインシーズンであった。
135イーストのメンバーになって日も浅い時期に、<SWING>の鈴木オーナー(当時はデヘラー
に乗っていらっしゃり、国際的な活躍を始められる前であった)がアメリカのヨット雑誌を
事務所に持ってこられた。その雑誌の中古艇広告ページに、バルティックヨット製のFARR-4
3が出ており、興味があるので調べて欲しい、という話であった。このサイズのFARRデザイン
のレーサーには珍しく、ステアリングホイールを持っている事が気に入っておられた。
早速、ボストンの広告業者とコンタクトを取り、仕様書や写真を送って貰ったところ、実際に
調査して欲しい、という事になり私が出張する事になった。

 広告業者は、ボストン北東部の海岸にあるマーブルヘッドという町にあり、艇もそこに係留
されていた。マーブルヘッドは、元々アメリカのヨッティングの中心的なところで、セールメ
ーカーのHOOD社の本拠地であったり、マーブルヘッド湾にはボストンヨットクラブをはじめと
して幾つかの由緒あるヨットクラブがあり町の役所の広報文書には<Capital of American
Yachting>(アメリカのヨッティングの首都)というタイトルがプリントされていた。
 Northrop And Johnson社のマーブルヘッド事務所がこのFARR-43の広告主で艇名は<ADVANTAGE>。
ボストンの高名な弁護士がバルティックヨットで建造したIORレーサーであった。この人は大学
時代はテニスプレーヤーでこの艇名となり、濃紺のトランサムにはテニスネットのイラストの上
に艇名を乗せたしゃれたデザインであった。彼の多くの顧客の1つはヘルスエンジェルスの全国
本部という事であった。

 ボストン空港でN&J 社のボブレスリーさんがピックアップしてくれて早速車でマーブルヘッド
のロイヤルコリンシャンヨットクラブに行った。ここは砂州の道を通ってマーブルヘッド灯台に
行く途中にあり、瀟洒なクラブハウスにまず驚かされた。ここの桟橋で乗り込んで早速試乗となり、
マーブルヘッド灯台を回りこんで沖に出た。軽風の中静かに滑る艇のそばにはうねりに揺すられて
カーン・jカーンとベルが鳴る浮標が浮かび、季節によっては霧が出る水域特性を思い出させた。
 
 マーブルヘッドの町は海沿いの小道に商店が並びハローウインの飾りつけで美しく海にちなんだ
店も多く、ショッピングが楽しめる。宿はライトハウスインという小さな古いホテルで、キルトの
ベッドカバーにアンティークの家具をあしらった天井裏の小部屋という雰囲気で落ち着いた処であ
った。夕食は高名なロブスターをボブさんと楽しみ、歴史的に重要な建造物を回りながら夜の町を
散歩した。このFARR-43 を仮契約し、日本へのシッピングなどの打ち合わせをして、3日ほど
の滞在は終わったが私のニューイングラドへの第1歩は水辺のロブスター漁のハウスと壁に掛かる
美しい浮き、湾を埋め尽くすヨットの景色、クラムチャウダー、灯台など典型的なニューイングラン
ドの水辺の風情の数々の印象を含む忘れ難い旅となった。

 Farr-43は同年12月に、引取りとシッピングの準備のためもう一度訪れる事になった。

    関係URLへ
       マーブルヘッド灯台     http://www.lighthouse.cc/marblehead/index.html

       マーブルヘッドのガイド   http://www.marblehead.org/




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マサチューセッツ州、ボストンの北東部海岸に位置する。

アメリカのヨッティングの歴史上、重要な町。湾を埋め
尽くすヨットやボートは夏の賑わいを思わせる。